
丁寧な暮らしに憧れたことってありませんか?
料理や掃除などの家事に、時間や手間を惜しまずかけるようなイメージがあって、憧れはするもののなんだかハードルが高い気がしてしまいますよね。
ですが、最近わたしが考えているのが、実は「お金をかけない暮らし」って、「丁寧な暮らし」にすごく似ているのでは?ということ。
今回の記事では、そこをちょっと深堀して考えてみたいと思います。
そもそも「丁寧な暮らし」とは?
「丁寧な暮らし」という言葉が広く知られるようになったのは、松浦弥太郎さんがきっかけなんだそうです。
松浦さんは、雑誌『暮しの手帖』の編集長を務めていた方で、“ 丁寧 ”をキーワードにした本を多数執筆されていて、わたしも愛読しています。
その松浦さん曰く、丁寧とは一瞬一瞬をよく味わうことで、時間をかけるとかお値段が高いものだけを使うとかではないようです。
お金をかけない暮らしの中にある「丁寧さ」
2馬力で働けばだいぶ家計も潤うのでしょうが、わたしはフルタイムで働くと、体力、精神力ともに消耗し、家事が疎かになってしまうポンコツなので、ちょっとパートに出るだけのほぼ専業主婦状態です。
なので、わが家は質素倹約がモットー。無駄なお金は使いません、というか使えません。
でもその結果として、気づいたことがあります。
たとえば──
- モノを買うときは、吟味する
- 買ったものは、なるべく大切に、長く使う
- 3食自炊が基本。ベランダで育てた野菜や、道端で摘んだ野草も料理に使う
- お風呂上がりは、ゆっくりストレッチとセルフマッサージ
- 鉄瓶でお湯を沸かして、ハンドドリップでコーヒーを淹れる
どうでしょう?
( これが" お金がないから仕方なく "という前提がなければ )、かなり「丁寧な暮らし」に近いと思いませんか?
鉄瓶はリサイクルショップで数百円で買ったものだし、ハンドドリップコーヒーもトップバリュー製品だけれど、言葉だけ並べてみると、丁寧な暮らし感があるのは否定できないと思うんです。
「丁寧な暮らし」は、考え方ひとつ
このように、お金をかけない暮らしと丁寧な暮らしは紙一重で、実際のところ、大きな差はないんではないでしょうか。
結局、「貧乏くさい暮らし」か「丁寧な暮らし」かは、外から見えるモノではなく、自分の心の持ちようなんだと思います。
お金がないから仕方なくやっているみたいな気持ちだと、ただの貧乏暮らし。
そうではなく、今与えられているモノや環境に感謝し、日々を慈しみながら過ごせば丁寧な暮らし。
この気持ちの差が、暮らしの質を大きく変えるのではないでしょうか。
まとめ:豊かさは「心」から始まる
もちろん、お金があるに越したことはないし、「清貧が最高!」と言いたいわけではありません。
でも、お金をかけずとも、丁寧に生きることはできる。
まったく同じような状況であっても、貧乏暮らしか丁寧な暮らしかは自分の考え方次第で、自分で選べるということです。
そして、その丁寧さが自分自身の満足感や幸福感につながっていくことも、確かにあると思うのです。
「丁寧な暮らし=理想の暮らし」ではなく、
「自分の手の届く範囲で丁寧に暮らす=現実に寄り添った豊かさ」
そんなふうに、考えてみるのはいかがでしょうか?