
最近、YouTubeでよく耳にする「節約疲れ」の話題。
ガルちゃん(Girls Channel)まとめチャンネルでも、
- 「物価高で生活がしんどい」
- 「節約、もう限界」
といった投稿がとても増えているように感じます。
でも、実はわたし自身、大学時代からずっと節約生活を続けてきましたが、「節約もうムリ!」と感じたことがあまりありません。
そこで今回は、ガルちゃんに投稿する方々とわたしでは何が違うのかを、少し考えてみました。
この記事のもくじ
節約は“自分の意志”でやるもの
いちばん大きな違いはこれだと思います。
わたしの場合、
「節約は、自分で選んでいる」
という意識がとても強いんです。
正直、若いころは収入が少なく、生活自体もギリギリ。
「節約を好きでやってます」なんてカッコつけられる状況ではありませんでした。
けれど、そんな中でも節約はただの我慢ではなく、未来への希望でした。
今頑張れば、将来がちょっと楽になる。
そう信じて、少ないお給料を必死でやりくりしていました。
神戸大学の研究によると、人は所得や学歴よりも「自己決定」できたときに幸福を感じるそうです。
参考 ▶ 所得や学歴より「自己決定」が幸福度を上げる( 神戸大学 )
つまり、“自分で決めている”という実感が幸福感につながるんです。
だからこそ、同じ節約でも、他人や環境に強いられるのと、自分から選ぶのとでは感じ方が大きく違うのだと思います。

「買えない」のと「買わない」のではストレスが違う
ガルちゃんの節約疲れ投稿にはよく、
「物価高でチョコレートすら買えない」
といった声が見られます。
でもこれがもし、
「チョコレートは節約のために買わないと決めている」
だったら、結果は同じでもストレスは大きく変わりますよね。
前者は“環境に奪われた自由”。
後者は“自分で決めた選択”。
ここが、わたしと投稿者さんとの大きな差なのだと思います。

節約は「喜びを大きくする」魔法でもある
わたしにはもう一つ、節約がポジティブに思える理由があります。
それは、
節約によって、日常の喜びが何倍にも大きくなる
ということ。
さっきのチョコレートをまた例えに出してみましょう。
チョコレートはたしかにおいしいですし、毎日食べられると嬉しいですよね。
ところが、毎日食べていたらそのおいしさは当たり前になり、やがて“もっと良いもの”を求めてしまう。
でも、節約でしばらく我慢して、久しぶりに食べたらどうでしょう?
スーパーの板チョコでも、高級チョコのようにおいしく感じられるはずです。
わたしの愛読マンガ『定額制夫の「こづかい万歳」 ~月額2万千円の金欠ライフ~』の2巻には、こんな言葉があります。
お金がなくて ガマンして…
耐えて… 耐えて…
やっと買えて…
だからおいしかったんだよ!!
出典:吉本浩二『定額制夫の「こづかい万歳」 ~月額2万千円の金欠ライフ~』
まさにその通りだと思うんです。
実際、昨日のわが家の夕飯はポトフだったのですが、久しぶりに登場したソーセージに子ども達は大興奮。
「ソーセージ、うめぇ~!!」と叫んでいました。
これって、毎朝ソーセージが出てくる家庭では味わえない幸せですよね。
これこそ“制限があるからこそ生まれる喜び”なのです。

人間はすぐ慣れてしまう生き物。だからこそ節約は“幸せのスパイス”
どんな嬉しく、喜ばしいことでも愚かなことに人間はすぐに慣れてしまって、幸せを感じない生き物。
慣れは幸せを奪うのです。
だからこそ、節約という“ほどよい制限”は、日々の暮らしに幸福感を取り戻すスパイスになると、わたしは思っています。
まとめ
- わたしは「自分の意志で節約している」実感が強い
- 自分で選ぶ節約は、他人や物価に“強いられる節約”とは心の負担が全く違う
- 節約による“ほどよい制限”は、日常の喜びを何倍にも大きくする
- 節約は単なる我慢ではなく、未来への希望であり、幸福感につながる行為
節約はしんどいものと思われがちですが、視点を変えれば、人生の満足度を高めてくれる味方にもなれます。
あなたにとっても、節約が「幸せを大きくする時間」になりますように。

