
今でこそシンプルライフを目指しているわたしですが、学生時代は、物欲もそれなりにある人間でした。
「人並にオシャレをしなければ」と季節ごとにショッピングモールで洋服を買いまわったり。
ステキな雑貨があれば「これ、部屋に合いそう」と手をのばし、当時一人暮らしをしていた部屋に飾ったりしていましたっけ。
それが大学を卒業して社会の洗礼を受けると、オシャレどころか生きていくのに精一杯になり、少しずつ生活を華やかにするようなものとは疎遠に…。
そんなわたしに「シンプルな暮らしをせねば」とさらに強い気持ちを持たせたのは、祖母の死です。
死後から始まる遺品整理地獄
わたしの祖母は、掃除は好きだけれども、モノの処分が得意ではない人でした。
まだ元気だったころは家はきれいに整っていたのですが、体が思うように動かなくなってからは次第に家にモノが溜まるように…。
いや、モノが溜まるというよりは、あえてモノを溜める生活を祖母は送っていました。
次はいつ買いに行けるかわからない。そんな不安感から必要以上にモノを買いだめてしまうのです。
そんな祖母の口ぐせは、「私が死んだら好きに使ったらいい」。何かあるたびに、このセリフを繰り返していたのを今でも思い出されます。
そして、突然その日はやってきました。祖母が弱ってきたのをわかってはいたけれど、こうもあっさりと逝ってしまうとは思いもよらず、周囲も驚くばかり。葬儀やら法要やらでバタバタと忙しい日々が続きました。
しかし、本当に大変だったのは、そこから始まる片づけでした。控えめに言っても、地獄です。
業者にお願いして、ベッドのような大物を中心に、トラック1台分の荷物を回収してもらったにもかかわらず、家の中から無限にモノが湧いて出てくるのです。
トイレットペーパーやティッシュ、洗剤のような日用品なんかは、それぞれ何個あるのかというくらい、戸棚や押し入れに詰め込まれ、食器棚は賞味期限の切れた食品やら食器やらでパンパン。
捨てても、捨てても湧いてくる。しかも、捨てるといっても、使えるものは粗末にはできないので、それを仕分けるのだけでも一苦労です。

「私が死んだら好きに使って」のリアル
そんな片づけ地獄のなかで頭に思い浮かぶのが、祖母の口ぐせだった「私が死んだら好きに使ったらいい」という言葉。
当人は価値があるモノを保存しているつもりだったのでしょう。だから、自分が旅立った後も残された人は有意義に使えると信じていたのです。
ですが、実際に蓋を開けてみれば、何のことはなし。遺されたモノは、残された人にとってほぼ価値はなかったのです。
祖母が目利きで、いい品を集めていたのであれば話は別だったのでしょうが、量販店で買ったようなものばかりではそんな価値があるわけがありません。
年月は経っているものの、アンティークとは到底呼べず、しかも好みも違うので、残念ながら食指が動くようなモノはないのが現実でした。
片づけ地獄のなかで、一番モッタイナイと思ったのは、着物。洋服ダンスの何段分も着物がびっちりと入っていたのです。
何がモッタイナイかというと、わたしは祖母が着物を着ている姿を一度も見たことがないのです。なのにもかかわらず、あれほどの着物を持っているとは…。なかには一度も袖を通していないような着物もありましたね。
祖母にとっては財産であり、遺して価値のあるものだったのでしょう。
ですが、現実問題として、一族の誰からも「着物が欲しい」という者は現れず、売ろうにも長年の保管でできてしまったシミのせいで買取してもらえなかったものも多く、一部は欲しい人に無料で譲り、残りは処分する羽目に…。
使われもせず、ただ迷惑扱いされてしまった着物たち。こんなにモッタイナイ話はあるでしょうか。

祖母宅の片づけから学んだこと
ヨーロッパでは先祖代々のものを大事に使うという風習が残っていて、すごく素敵だなと思いますし、憧れます。
でも、遺品整理で実際に感じたのは、残された人にとって遺されたモノが価値があるというのは現実的にはなかなかない、ということ。
自分が気に入っているモノでも、ほかの人にとってはほぼ価値はない。そして、遺されたモノが過剰だと、残された人が苦労する。
もし遺したい気持ちがあるのならば、自分が亡くなった後にではなく元気なうちに、「欲しい」と言ってくれる人に早々に譲る。
これに尽きる気がしています。
こんな経験から、自分が気に入った少量のモノを使い切る暮らしをして、あの世に旅立った後は、残された人が簡単に惜しげもなく処分できるようにしたいと思う、今日この頃です。
祖母の家の片づけには、本当に苦労しましたし、あの経験はもうしたくありません。でも、わたしの人生において、価値観を変えるきっかけをつくってくれたことは感謝ですね。