
韓国ドラマ『誰だって無価値な自分と闘っている』のタイトルを見たとき、強烈に心が惹かれました。
「無価値な自分と闘っている」
少し重たい言葉ですが、今の時代を象徴しているようなタイトルだと感じたのです。
このドラマは、映画監督を目指しながらもなかなか芽が出ない男性を主人公に、映画業界で働く人たちの葛藤や劣等感、そして「自分には価値があるのか」という問いを丁寧に描いた作品です。
派手な展開で引き込むタイプのドラマではありません。
それでも、人が抱える悩みや孤独に静かに寄り添ってくれる作品で、見終えたあとも深い余韻が残りました。
そしてわたしは、このドラマをきっかけに、今の時代の「生きづらさ」について改めて考えるようになりました。
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「少し得意」だけで十分だった時代
昔は、人より少し得意なことがあるだけで十分だったように思います。
絵が少し上手い。
料理が少し得意。
スポーツが得意。
勉強が少しできる。
もちろん、もっと上には上がいました。
でも、その「ちょっと得意」が自分の居場所になっていた気がします。
学校や地域、職場という限られたコミュニティの中では、「〇〇が得意な人」として認められることもありました。
その小さな成功体験が、自信につながっていたのではないでしょうか。
世界中が比較対象になった時代
今は状況が大きく変わりました。
スマートフォンを開けば、世界中の人の作品や実績、生活が一瞬で目に入ります。
自分では料理が得意だと思っていても、プロ顔負けの料理動画が流れてくる。
文章を書けば、自分より何倍も読まれている人がいる。
趣味で始めたことでも、世界レベルの人と簡単に比較できてしまう。
本来なら「十分すごい」はずなのに、「自分なんてまだまだ」と思ってしまう。
しかも、SNSでは評価だけでなく批判も可視化されます。
昔なら知らずに済んだ、どこかの誰かの否定的な言葉まで、簡単に目に入ってしまう時代です。
知らなくてもよかった声を知ってしまう。
それが、わたしたちの自己肯定感を少しずつ削っているのかもしれません。
誰かに認められるより、自分が認めること
もちろん、時代は戻りません。
インターネットもSNSも世界から消えてなくなることはないでしょう。
だからこそ必要なのは、「誰かに認められること」よりも、「自分で自分を認めること」なのではないかと思います。
今日はここまでできた。
昨日より少し前に進めた。
失敗したけれど挑戦した。
そんな小さな「できた」を、自分がちゃんと受け止める。
自分の心のなかに、「これでいい」と思える小さな居場所をつくること。
それが、この時代を生きるために必要な力なのではないでしょうか。
息子の「俺、天才じゃない?」に教えられたこと
先日、息子が夕飯に魚のムニエルを作ってくれました。
焼き加減もちょうどよく、とてもおいしかったのですが、食べながら息子が満面の笑みで言ったんです。
「俺、天才じゃない?」
その言葉を聞いて、思わず笑ってしまいました。
でも同時に、「その感覚を大人は忘れてしまったのかもしれない」と思いました。
もしSNSを見て、「もっと上手に作る人がいる」「こんなの普通だよ」と言われることを先に気にしていたら、あの言葉は出てこなかったかもしれません。
自分で作れた。
おいしくできた。
家族がおいしいと言ってくれた。
だから「天才!」。
そのくらいの自己肯定感があっていい。
むしろ、そのくらい素直に自分を認められる人のほうが、幸せなのではないかと思います。
無価値な自分と闘う時代だからこそ
このドラマのタイトルは、「あなただけが自分を無価値だと思っているわけじゃない」というメッセージにも聞こえました。
口には出さないだけで、誰もが自分の価値に迷いながら生きています。
だからこそ、自分くらいは自分の味方でいてあげたい。
世界中の誰かと比べるのではなく、昨日の自分より少し前に進めたことを喜ぶ。
いや、進めていなくてもいい。
「よくできた」
「これでいい」
そんな言葉を、自分自身にかけられる人でありたいと、このドラマを見て改めて思いました。