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ベトナムで考えさせられた、効率を超えた幸せな生き方とは?

コスパ(コストパフォーマンスの略称)、タイパ(タイムパフォーマンスの略称)が叫ばれて久しいですが、違和感を感じるのはわたしだけでしょうか。


こんなにパフォーマンスを重視して頑張って生きているのに、なぜか幸せではない。


ネットを開けば、悲惨なニュースやどうでもいい芸能人のニュースとか、それに対する批判の嵐。


ギスギスした世界が広がっています。



世の中こんなに便利になっているのに、なぜわたし達はこんなにも幸せでないんでしょうか?


今回の記事では、わたしが感じている違和感と幸せについて考えていきたいと思います。

ベトナムでの体験

ベトナムのホーチミンに旅行に行ったときのこと。


ホームステイ型のホテルに泊まっていたわたしは、オーナーとたくさんおしゃべりをしました。


彼は親日家で、日本で働いていた経験もあるらしく、「また日本に行きたい」とホテル業やカフェ業の合間にYouTubeを見て、毎日日本語の勉強をしています。


そんな彼にわたしは話をしました。


今の日本は、一生懸命働いても給料が伸び悩み、税金は重く、インフレも重なり、生活が苦しい人が多いこと。


ベトナムに比べれば給料がいいかもしれないけれど、日本人はちっとも幸せでないこと。


日本人の悩みの多くはお金にまつわることで、住宅、教育、老後の心配が人生にずっとついて回ること。


わたしはかなり熱弁をふるいましたが、彼にはいまいちピンと来ない様子。


そんな彼から、あなたは、生まれたときから何でも持っているから幸せじゃないと言われました。


この言葉を聞いて、ハッとすると同時にどこか納得した自分がいました。



わたしは40代半ば。


ありがたいことに、生まれたときからモノが不足して困ったという経験はほとんどありません。


ファミコンを買ってもらったり、電子レンジが家に来たときにはものすごく感動しましたし、ケータイを買ってもらったときや、バイト代を貯めてパソコンを買ったときの嬉しさは今でも忘れません。


もちろん、欲しくても買ってもらえなかったモノはたくさんあるし、米騒動のときにはタイ米を買うために行列に並んだりもしました。


でも、今はというと、あの頃みたいに「どうしても欲しい!」というものはほとんどないのが現状で、たとえモノを買ったとしても、子どものころのようなワクワク感をもう感じることはできません。


もう十分に、物質的には満ち足りている証拠です。



ベトナム人のオーナー曰く、ベトナムの人は「今日が幸せ」であることを大事にするそうです。


もしかしたら明日は大変かもしれないけれど、今日が幸せだから幸せ。


家族が笑っていられれば、それで幸せ。


こんな感じだそうです。



核家族化が進んだ日本とは違い、おじいちゃん、おばあちゃんとも一緒に暮らすのが当たり前なので、老後のお金の心配とかもないとのこと。


毎日頑張って、今日より明日がよくなる。


そういう気持ちで暮らしているそうです。



この話を聞いて、わたしはとても羨ましくなりました。


たしかにベトナムは、日本と比べると生活インフラは発展途上ですし、都会であっても道端にゴミがゴロゴロとしていて、人によっては敬遠したくなるかもしれない状況です。


でも、わたしはベトナムに滞在してみて、慌ただしいなかにもどこかゆったりとした空気が流れ、笑顔の人が多いのがとても印象的で、言葉も通じないのにとても居心地がよかったんですよね。


日本の姿から見えるもの

一方の日本といえば、どこかギスギスした感じがします。


東京に行けば、電車は蜘蛛の巣のように張り巡らされてどこにでも便利に行けるし、高層ビルもバンバン建っていて、道路もそれなりにキレイです。


でも、どこか暗い。人に活気がないんですよね。


もっとたくさん、もっと早く、もっと便利にと多く求めて走ってきたけれど、でもその先にあったのは幸せな暮らしではどうもなさそうです。


ベトナム人のオーナーが話してくれたように、わたし達は幸せを感じるには豊かすぎるのかもしれません。


でも、資本主義社会である以上、この世の中の流れが変わることは簡単ではないでしょう。


ということは、この違和感を感じる状況から抜け出すには、社会の変化を待つのではなく、個人でどうにかするしかないんですよね。



最近読んだ本のなかで印象に残ったものに、『WHITE SPACE ホワイトスペース』という本があります。


この本では、あえて何もしない空白時間を確保することで、仕事や人生を改善していくことの重要性が書かれています。


忙しさに消耗して幸せを感じられないのは日本だけではなく、先進国共通の悩みなのかもしれません。


先進国なんていう単語を使っているけれど、進んでいるのは経済ばかりで、もしかしたら心の豊かさは後進国なんじゃないだろうかと、本を読みながら考えてしまいました。


この本が提唱するように、「もっと、もっと」と急かしてくる世のなかから少し離れ、自分と向き合ってみる。


そんな時間こそが、わたし達には必要なんじゃないかと思います。

無駄が人生を彩る

こんな話を偉そうにしているわたしですが、生活ではつい「急いでっ!」と叫んでしまうのが日々の悩み。


効率よく、早くという癖がなかなか抜けません。


子どもがノロノロと効率悪いことをしていると、つい堪えきれずに急かしてしまい、煙たがられています。


この効率よく、早くという思考が曲者なのはわかっているんですが、扱いが難しいですよね。


料理をするのでも、掃除でも、いかにコスパ、タイパよくやるかを考えたくなってしまいます。


これ自体は悪いことではないはずなんですが、突き詰めすぎるとおかしなことになってしまいます。



以前勤めていた職場に「サプリメントで栄養を賄える時代が来てほしい」と本気で言っている人がいたんですが、これは究極のコスパ、タイパ思考だなぁと思います。


食事をつくる時間が無駄、食べる時間が無駄。


この考えが進むと、生きてるのがムダという最終思想に辿りつきそうで、ちょっと怖いなと感じたのを今でも覚えています。


よくよく考えると、わたし達の人生って実は、無駄で成り立っている気がするんです。


そもそも生きていること自体に意味なんてなくて、生まれたから生きていて、死ぬまで生きているだけなんですよね。


わたし達が捨てようとしている無駄そのものが、人生なのかもしれません。


サプリメントで栄養は補えるかもしれないけれど、お肉やお魚、野菜を素材から調理して、ゆっくりと時間をかけて食べる。


そんなお金を払えばいくらでも省くことができる無駄を、いかに楽しむかが人生なんじゃないかと、最近よく思います。


コスパ、タイパを全否定するのでもなく、浮いたお金、空いた時間などのリソースは、自分の人生において本当に大切にしたいところに惜しみなく使う。


一見すると無駄だと思えることを、非効率に思い切り楽しむ


こんな何気ないことが、誰のためでもない自分の人生を豊かにする鍵なのではないでしょうか?

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