
最近、YouTubeを見ていて少し気になることがあります。
医療に関する広告がやけに表示されるのです。
特に医療系の動画を見ているわけでもないのに、予防接種やADHDといったテーマの広告が流れてくる。
その中でも、強く印象に残ったものがありました。
「肥満症は病気です」
というキャッチコピーの広告です。
正直に言うと、この言葉を見たとき、少し引っかかるものを感じました。
もちろん、肥満が健康に悪影響を与える可能性があることは、多くの人が理解していると思います。
高血圧や糖尿病、心疾患などのリスクが高まることも事実です。
けれど、「病気」と言い切られると、どこか違和感が残るのです。
恐らくそれは、「生活の問題」が「医療の領域」に強く引き寄せられているように感じるからだと思います。
医療と生活の境界線ってどこだろう?
誤解のないように言えば、医療の役割を否定したいわけではありません。
たとえば、食事量はそれほど多くないのに体重が増え続ける場合や、ホルモンや代謝に問題があるケースなどでは、医療のサポートが必要になるでしょう。
そういう意味では、「肥満症」という考え方自体には一定の意味があると思います。
ただ一方で、現代の多くのケースは、もう少し日常的な要因によるものではないでしょうか。
忙しくて自炊する時間がなく、外食やコンビニに頼りがちになる。
仕事はデスクワーク中心で、通勤も車。気づけばほとんど体を動かしていない。
そうした生活の積み重ねによって体重が増えていく。
これはどちらかというと、「病気」というより「生活環境の問題」に近いように感じます。
そう考えると、本来は医療だけで解決するものではなく、社会全体で支えるべきテーマなのではないかと思うのです。
たとえば、誰でも無料で使える運動設備が身近にあったり、安全に自転車通勤ができる道路環境が整っていたり。
そうすれば、日常の中で自然に体を動かす機会は増えるはずです。
以前、韓国やベトナムを旅行したとき、公園やちょっとしたスペースに運動器具が設置されていて、たくさんの市民が日常的に体を動かしている光景を見ました。
それに比べると、日本では運動するために「時間」「お金」「意識」が必要になる場面が多いように感じます。
結果として、健康管理が個人任せ、あるいは経済力に左右されやすい構造になっているのかもしれません。
健康と自由のあいだで思うこと
もう一つ気になるのは、医療費の問題です。
高齢化が進み、医療費の増加が課題となっている中で、通院する人を増やす方向に進んでいくのは、少し不思議にも感じます。
もちろん必要な医療は不可欠ですが、「そもそも病院に頼らなくてもいい人を増やす」という視点も同じくらい重要なはずです。
そして少し大袈裟かもしれませんが、「健康が管理されるものになっていく感覚」にも、わずかな違和感があります。
健康的な食事や運動が大切なのは間違いありません。
でも同時に、好きなものを食べたり、何もせずに過ごしたりする自由も、わたしたちの生活の一部です。
それにもかかわらず、「肥満症」という言葉によって、生活の細かい部分にまで医療が入り込んでくるような印象を受けてしまうのです。
「肥満症は病気です」という言葉自体は、間違っているわけではないのでしょう。
けれど、やっぱり、なんだか嫌な気分が拭えません。
その言葉の広がり方によっては、本来バランスが必要な問題が、一方向に偏ってしまう可能性もある。
それが何となく怖いのです。
医療、社会、そして個人。
それぞれの役割が無理なく重なり合うことが、本当の意味での健康なのではないか。
そんなことを、YouTubeの広告を見ながら考えてしまいました。