
来月でパートを辞めることにしました。
そう書くと、「仕事を辞めるなんて、何か大きな理由があったのかな」と思われるかもしれません。
でも、わたしの場合は少し違います。
今のわたしは、月に1日しか働いていません。
しかも、たったの4時間。
時給は1,200円いかないくらい。
「それなら、そんなに辞めることを悩まなくてもいいんじゃない?」
そう思う人もいるかもしれません。
この記事のもくじ
3月までは「月2日・10時間」の約束だった
実は、最初から月1日しか働けなかったわけではありません。
わたしの職場は、1年ごと契約のシフト制で、働く日時が1年を通し決まっています。
今年の3月に異動になることが決まり、4月からは新天地でも月に2日、10時間は働けるという話になっていました。
ところが、いざ異動してみると、「生活に困らないよね?」と新しい上司に言われ、働ける時間が4時間に減らされました。
たしかに、その仕事だけで生活しているわけではありません。
月に元々10時間程度の仕事ですから、収入としては大きなものではありませんし、家計が変わるわけでもありません。
でも、だからといって、最初に話していた働く時間を減らされることに、わたしはモヤモヤしました。
「生活に困らないかどうか」と、「約束していた時間働けるかどうか」は別の話じゃないのかな、と。
ただ、そのときは「今年は子どもの受験もあるし、ちょうどいいかもしれない」と思い、辞めるまでには至りませんでした。
「適当にやって」と言われても、適当にはできない
ところがそれよりも問題だったのは、異動後の上司との相性です。
どうも、ウマが合いませんでした。
わたしが働いているのは、とても小さな職場です。
勤務する時間帯にいるのは、基本的にわたしと上司の2人だけ。
新しい配属先の上司は、細かく指示を出すタイプではありません。
「様子を見ながら適当にやって」という感じの人です。
なので、わたしは上司の様子を見ながら、その日にやることを自分で考えて動くしかありません。
基本的に異動前と仕事内容は同じなはずなので、「じゃあ、これはやっておこうかな」と、自分なりに考えて取り組みました。
ところが、その働きが上司の思ったような動きでないと、「そんなのは今いいから」「余計なことはしないで」という感じで言われたり、嫌みを言われたりします。
もちろん、わたしだって好き勝手にやっているわけではありません。
「適当にやって」と言われたから、様子を見ながら、自分なりに仕事をしているだけです。
たとえば、テーブルの上にゴミがあれば、「これくらい片づけておこう」と思って、ゴミをまとめる。
わたしとしては、目についた余計なものを片づけたつもりです。
ところが、「そんなのは今いいから」と言われる。
別に他のことを放り出してまでやったわけではないし、手持無沙汰だからやっただけなのに…。
「じゃあ、今は何をすればいいんだろう」と思ってしまいます。
でも、そこで「何をすればいいですか?」と聞ける相手ではないし、状況でもない。
結局また、上司の様子を伺いながら、自分で判断するしかありません。
こういう小さなことが、少しずつ積み重なっていきました。
ひとつひとつの出来事だけを考えれば、大したことではないと思います。
でも、
指示がない。
自分で考えて動く。
動いたら「それじゃない」と言われる。
しかも、勤務中は上司と2人きり。
そういう状況が何度も続くと、だんだん「何をしても正解が分からない」という気持ちになってしまうんです。
もし他にも何人か一緒に働く人がいたら、少し違ったのかもしれません。
分からないことがあれば誰かに聞ける。
上司とのやり取りで嫌なことがあっても、ほかの人がいれば少し気持ちを切り替えられる。
でも、そこにはわたしと上司しかいません。
だから、4時間ずっと上司の存在を意識せざるを得ない。
結局、仕事そのものよりも、「どう動けば嫌なことを言われないのか」と考えることに疲れてしまったんです。
月1日、4時間のために、ここまで我慢する?
時給は1,200円いかないくらい。
月に4時間なので決して多い金額ではないものの、少しでも収入になること自体はありがたい。
そして、わたしは働く以上はちゃんと仕事をしたいと思っています。
言われたことはきちんとやりたいし、できることがあればやりたい。
けれど、そもそも指示も説明もない。
「様子を見ながら適当にやって」と言われる。
だから自分で考えて動く。
すると、「そんなの今いいから」と言われる。
何をやっても注意されるという繰り返しが地味に精神をえぐります。
お金をもらって働く以上、嫌なことがあるのは当たり前です。
どんな職場でも、人間関係の合う・合わないはあります。
だから、これくらいで辞めるのは甘いのかな、とも思いました。
けれど、家に帰ってからも、その日のことを思い出してしまう。
「なんであんな言い方をされたんだろう」
「そんなに悪いことしたかな」
仕事に行った日は夜も悶々としてよく眠れなくなりました。
そして、ふと思いました。
「何のためにこの仕事を続けているんだろう」
月に1日。たった4時間。
そのためにこんなに気を遣って、嫌な気持ちになっている。
たった数千円のために自分の気持ちを疲弊させてまで、続ける必要があるのだろうか。
こんな気持ちがいつしか心に居座るようになりました。
40代になって、我慢の基準が変わった
数千円の重みが大きかった若い頃なら、もう少し我慢していたかもしれません。
「仕事なんだから仕方ない」
「嫌な人がいるのはどこでも同じ」
「お金をもらっているんだから、これくらい我慢しないと」
そんなふうに思っていたと思います。
でも、40代になって、自分の時間や気持ちの余裕を以前より大切に考えるようになりました。
今は子どもの受験もある。家のこともある。
そんな中で、月にたった1日、4時間の仕事のために、毎回気を張って、嫌な気持ちになって帰ってくる。
そこまでして続ける必要があるのか。
そう思うようになりました。
「少しでも働いている」ということに、こだわらなくてもいいのかもしれない。
「せっかく続けてきたんだから」という理由だけで、これからも我慢し続けなくてもいいのかもしれない。
そんなふうに考えるようになりました。
そして、来月辞めます
辞めると決めたとき、ものすごくスッキリした……というわけではありません。
接客業で、お客さんとのやりとりが楽しかったので、辞めるのが残念な気持ちも心の片隅にあります。
「辞めてよかったのかな」と思う瞬間がこれからあるかもしれません。
でも今は、「もう、ここで無理をしなくてもいいんだ」という気持ちのほうが大きいです。
月1日のパートを辞める。
こう書くと、本当に些細な出来事です。
でも、わたしにとっては、自分の時間と気持ちをどう使うかを考え直すきっかけになりました。
40代になると、若い頃とは同じように働けないこともあります。
家族のこともあるし、自分自身の体力や気力も変わってくる。
だからこそ、「働いていること」だけを正解にしなくてもいい。
「これくらい我慢するのが普通」と、自分に言い聞かせなくてもいい。
自分にとって、時間とお金と気持ちのバランスが取れる働き方を選んでもいい。
今回パートを辞めることで、わたしはそんなことを考えるようになりました。
来月、わたしはこのパートを辞めます。
そして、辞めたあとに自分がどう感じるのか。
そこが今はちょっと楽しみでもあります。