
先日、義母から夫宛てに電話がありました。
定期的に夫が電話をかけることがあっても、あちらからかかってくるのは珍しいので何かあったのかと思って様子をうかがっていると…
義母の第一声が「私、何だかわからないんだけどね」。
突然かかってきた電話でその話の始まり方に、その場にいた家族みんな驚いてしまいました。
電話をかけている本人がわからないとはどういうことなのか?
さらに聞き耳を立てていると、話は混迷を深めるばかり。
それから10分近く話をしたところ、相続関連の話という推測はできたものの、何が何だかわからないので書類を郵送してもらうことで話がまとまりました。
ただ、本当に驚いたのは話が要領を得ず、まるで子どもと話しているかのような感触だったこと。
応対している夫も「意味が分からないんだけど」を繰り返していましたが、やむを得ない状況でした。
やり取りを聞いていて、わたしが心配になったのは、義母の認知機能の衰えでした。
義父が亡くなり、義母が猫と二人暮らしになってから、「あれ?」と思うことが増えてきました。
義母は75歳過ぎ。
その年齢を“まだ”と表現するのか、“もう”と表現するのかは難しいところですが、以前とは違う様子になってきたのは確かです。
日本人の健康寿命は、令和4(2022)年のデータでは男性72.57年、⼥性75.45年です。
まさに義母はその年齢を超えたあたり。この年齢を境に、ガクッと衰えているのを痛感します。
この記事のもくじ
なぜ隣のおばあちゃんは元気なのか?
わが家の隣に住むおばあちゃんは、とても元気な方です。
毎日のように数時間外出していますし、家周りの掃除や草むしりも自分でしています。
頭も耳もハッキリしていて、何の支障もなく会話ができる溌溂としたおばあちゃんですが、年齢は今年でなんと93歳。
歩くスピードもわたしと大差なく、傍から見れば絶対にその年齢には見えないはずです。
義母と隣のおばあちゃん、同じように一人暮らしなのに何がこうも違うのだろうか?
つい、考えてしまいます。
義母と隣のおばあちゃんのライフスタイルの違い
暮らしぶりを比べてみると、この2人には生活スタイルに大きな違いがあることに気が付きました。
日常の運動習慣
まず一つ思い当たるのは、運動量の違い。
隣のおばあちゃんは、何かにつけて体を動かしていて、しょっちゅうお出かけをしてます。
出かけるときは徒歩と電車。
働き盛りの成人で20分弱かかる距離でもスタスタと歩きます。
掃除が好きだそうで、家の外でも中でもせっせと体を動かしているようです。
それと引き換え、義母は身体を動かす習慣がありません。
最低限の家事はしますが、それ以外は座っていることが多いライフスタイルです。
外出するときは、基本的に車。
徒歩10分程度の距離でも歩くという選択肢はありません。
社会とのつながり
義母は、基本的に外とのつながりがありません。
夫の兄弟や親戚が心配をしてこまめに様子を見に来てくれているようですが、それ以外は買い物や病院くらいしか外部との接触がない生活です。
それに比べると、隣のおばあちゃんは大忙しです。
買い物や病院だけではなく、月に数回ボランティアに行っています。
それだけでなく、週に何人もお客さんが訪ねてきて、立ち話もしょっちゅうしています。
人は「休む」だけでは元気ではいられないのかもしれない
もちろん、義母が本当に認知に問題が出てきているのかはわかりません。
単に疲れていただけかもしれないし、相続という慣れない話で混乱していただけかもしれません。
それでも、以前と比べて明らかに変化しているのは確かです。
そして、その姿を見ていると、「人は楽をするだけでは、元気ではいられないのかもしれない」と感じます。
隣のおばあちゃんは、93歳になっても毎日のように外へ出て、人と話し、身体を動かしています。
きっと本人からすれば、“頑張っている”感覚すらないのでしょう。
でも、日々の小さな刺激や役割が、自然と心身を支えているように見えます。
一方で、義母の生活には、刺激が少ない。
やるべきことも、会う人も、外へ出る理由も減っていく。
老後は「のんびり暮らしたい」と誰もが思うものですが、何もしなくていい生活というのは、想像以上に人を弱らせるのかもしれません。
数年前にはFIREが大きなブームになりました。
もちろん、経済的自由そのものを否定するつもりはありません。
時間とやるべきことに追われたあくせくした暮らしではなく、自分らしいペースで生活したいという気持ちはわたしにもあります。
ただ、「何をして生きるのか」という部分がないまま自由だけを手に入れると、人は急速に張りを失ってしまうのではないか。
義母を見ていて、そんなことを考えるようになりました。
わたし自身も、決して他人事ではありません。
今は子ども中心の生活で慌ただしく過ごしていますが、子育てが終わったあと、自分には何が残るのだろう。
そんな疑問と不安が湧いてきます。
誰かと関わり、身体を動かし、小さくても役割を持ち続けること。
老後を元気に生きるために必要なのは、実はそういう当たり前の日常なのかもしれません。
義母と隣のおばあちゃんを見ていると、そんなことを考えさせられます。