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文章を書く趣味はシンプルな生き方と相性がいいと感じた話

ここ数カ月、せっせとKindle用の本とブログの執筆に勤しんできたのですが、つくづく思うことがあります。


文章を書くというのは、ミニマリストやシンプリスト的な感覚ととても相性がいいのではないか、ということです。


ちなみに、わたしはミニマリストそのものではありません。


ただ、モノや思考をできるだけシンプルに保つという考え方には共感する部分が多く、そうした視点から創作について考えることがよくあります。


モノを減らして暮らしをシンプルにするミニマリスト。


余計な装飾をそぎ落とし、本質だけを大切にするシンプリスト。


そうした考え方と文章執筆は、実はかなり似ているところがあると感じています。

文章は「削る作業」の連続

文章を書くとき、常に「何を残し、何を削るか」を考え続けています。


思いついたことをそのまますべて書けばいいわけではなく、本当に伝えたいことを中心に据え、余分な説明や重複をそぎ落としていく必要があります。


これはまさに、部屋の片づけと同じ。


目の前にあるモノをすべて残していては空間はすぐに散らかってしまうし、本当に必要なものだけを選び取ることで、初めて心地よい余白が生まれます。

ミニマリズム的な思考は執筆にも通じる

さらに言えば、ミニマリズム的な思考は「本当にそれは必要か?」という問いを常に自分に投げかけますが、これは執筆にもそのまま当てはまります。


この一文は必要か。冗長になっていないか。


この比喩は本質を表しているか。


そんな問いを繰り返すうちに、文章は少しずつ研ぎ澄まされていきます。

文章は道具も材料もほとんどいらない創作

文章を書くことがこうした感覚と結びつく理由のひとつに、「道具や環境が極めてシンプルで済む」という点があります。


昔の作家であれば、原稿用紙や万年筆、タイプライターなど、どうしても物理的な道具がたくさん必要でした。


しかし今は違います。パソコン一台、あるいはスマートフォン一台あればどこでも書くことができます。


それ以上の道具も材料もいりません。


新しい作品を書いても、モノが増えるわけではない。


必要なのは思考と時間だけです。


この軽さは、シンプルな生き方の感覚ととてもよく馴染みます。

絵を描くことへの憧れと引っかかり

一方で、他の創作について考えると少し違った感覚もあります。


たとえば、わたしは絵を描くことにも興味はあるのですが、画材やスケッチブック、キャンバスなど、どうしても道具や作品そのものが「モノ」として増えていくことを考えると、少し躊躇してしまうところがあります。


作品が形として残るのは魅力でもありますが、それが物理的な所有物として積み上がっていく感覚は、自分の志向とは少しズレているようにも感じます。


それと比べると、現代の執筆はとても気楽です。


いくら書いても現実世界のスペースを圧迫することはほとんどありません。


増えていくのはデータと文章だけで、それはむしろ軽やかな蓄積です。

動画や音声という選択肢もある

そう考えると、文章以外にも相性の良い表現手段がある気がしてきます。


たとえばYouTubeのような動画編集や、ポッドキャストのような音声コンテンツです。


これらも基本的にはデジタルの世界で完結する創作であり、物理的なモノを増やさずに表現を積み重ねていくことができます。


創作をしたいという欲求と、生活をシンプルに保ちたいという志向。


その両方を両立できる手段として、現代のデジタル表現はとても相性がいいのかもしれません。


気づけば、創作の選択基準すらも「モノが増えるかどうか」に影響されているのは少し面白いところです。


そしてそれは、自分なりのシンプルな価値観の形なのだと思います。

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