
人生の時間をどう使うかを考えることはありますか?
多くの人が「平均寿命」を目安にして、これからの人生を考えていると思います。最近では「人生100年時代」なんて言葉も広まって、長生きが当たり前のように感じますよね。
でも、本当にわたしたちはそんなに長生きできるのでしょうか?
ここ最近、若くして亡くなる著名人の訃報も多く、だんだん「平均寿命」という考え方に疑問を感じるようになっています。
今回は、わたしが思う「平均寿命」への思い込みと、アリとキリギリスの話から人生のバランスについて少し考えてみたいと思います。
平均寿命という思い込みを疑う
人生における物事を考えるとき、よく「平均寿命」という数字を基準にすることがありますよね。
たとえば、平均寿命が85歳だから「あと何年くらい人生が残っている」とか、そんな風に自分の人生の終わりを計算してしまうことはあるんじゃないでしょうか。
最近では「人生100年時代」なんて言葉もよく耳にするようになり、長生きすることが当然のように捉えられている気がします。
その影響もあってか、『LIFESPAN(ライフスパン): 老いなき世界』という本が世界的にベストセラーになり、長寿を目指して生きることがいかにも理想的な生き方のように感じられることもありますよね。
けれど、わたしはこの風潮に少し疑問を感じています。本当にわたしたちは、そんなに長生きできるのでしょうか?
最近、まだ若い著名人の訃報が続いています。
わたしがよく本を読んでいた経済評論家の方々も、ここ数年の間にのうちに3人も亡くなり、いずれも70歳前後でした。
これらのニュースに接するたびに感じるのは、「平均寿命」という数字がいかに不確かで、あてにならないものなのかということです。
もちろん、医学の進歩や生活習慣の改善で、平均寿命が伸びているのは事実です。
でも、わたしたちがその「平均」のラインを越えて生きる保証がどこにあるのでしょうか?
健康で過ごせる保証も、明日何が起こるか分からないことも、決して約束されているわけではないのに、「平均寿命」という言葉から未来があると思ってしまう自分がいます。
でも実は、その「平均」に自分が含まれているという確証なんて、どこにもないんですよね。

アリとキリギリスのどちらかを選ばなくてはいけないのか?
勤労勤勉を子どもたちに教える寓話としてよく使われるのが「アリとキリギリス」という話。
ご存じだとは思いますが、ざっとあらすじを復習しますと、
夏にキリギリスが楽しそうに歌ったり踊ったりしている間、アリは黙々と働き、冬の備えをしました。そして、冬が来ると、備えがなかったキリギリスは天に召され、アリは準備万端で幸せに暮らしましたとさ。
という、働き者のアリが正義という話です。
子どものころにこの話を読んだとき、わたしは「働いて備えるって大事なんだな」と素直に感じていました。でも、人生経験を重ねた今、この話に違和感を覚えています。
というのも、この話では、アリはたまたま健康でしっかりと蓄えもあったので、冬の時期を楽しむことができました。
でも、もしアリが働いているあいだに怪我をしたり、病気になっていたらどうでしょう?
備えはあっても、寝たきりで楽しいことができず、ただベッドの上で過ごすだけの未来だったかもしれません。もしかしたら、過労で心身が疲れ果てて、うつになったかもしれません。
そうなったとき、「もっと楽しんでおけばよかった」と思っても後悔しても遅いですよね。
「アリとキリギリス」の話は、働くことの重要性を教えるにはいいかもしれませんが、人生を教える話としては少し偏りがあるように感じます。
なぜ、働くことが優先で、楽しみは後回しにしなければならないのでしょう? 人生は、明日どうなるか分からない一寸先は闇のようなもの。
だからこそ、楽しみを後回しにせず、働きながらも今を楽しむことが大事だと思うんです。
冷静に考えれば、わたしたちには平均寿命まで生きられる保証も、明日が来る保証もない。あるのは、今という瞬間だけです。
でも、だからといって、キリギリスのように宵越しの銭を持たないというほど肝が据わってもいません。
そこでわたしのような小心者の小市民ができることは、未来に備えながらも、今を楽しむというシンプルな方法だけです。未来に全振りするのでもなく、今に全振りするのでもなく、我慢しすぎず、でも備えもして。
当たり前すぎて面白みはないかもしれませんが、将来の確約がない以上、結局のところ、これが後悔の少ない生き方なのではないでしょうか?
とはいえ、今と未来のバランスをどう取るか、という問題はいつまでも悩み続けるところではあるのですが…。

「明日やろうはバカ野郎」を忘れない
40代は、人生において忙しい時期です。家庭のこと、仕事のこと、子育てや親のことなど、毎日があっという間に過ぎていきます。
仕事での責任も増し、家事や子育て、さらに自分の健康にも気を使う必要があり、悩みが尽きません。
でも、よく考えてみると、これまでの人生のなかで本当に「忙しくない時期」ってあったでしょうか?学生時代や若いころも、勉強や仕事、将来の不安や悩みで忙しく感じていましたよね?
結局のところ、どんな時期でも必ず何かに追われていて、忙しくない時期なんていうのはきっとないんです。もしあるとすれば、天に召されるときくらいでしょうか。
「いつか時間ができたら、自分がやりたいことをやろう」と思っているうちに、その「いつか」はどんどん先延ばしになり、気づけば何も手をつけずに時間だけが過ぎていきます。
「いつか」と思っていたら「いつか」は永遠にやってきません。
いつか時間ができたとしても、そのときには体力やエネルギーが追いつかないかもしれません。もしかしたら若いころに比べて、興味や関心も薄れてしまっているかもしれません。
実際、わたし自身も若いころと比べて、あれがしたい、これが食べたい、という欲がよくも悪くも減りつつあるのをすでに感じています。
だからこそ、やりたいことは思い立ったときに、今すぐにでも実行に移すべきだと最近は強く感じるようになりました。
もちろん、時間やお金、体力など、いろいろな条件があるなかで実行するのは難しいこともあるかもしれません。でも、少しの工夫と努力で、それをやりくりする方法は必ず見つかるものです。
もし「今」を大切にしないと、あっという間に未来は来てしまいます。
わたしが目指しているのは、「いつか」だけではなく、今も充実させる生き方です。
それが、アリとキリギリスのハイブリッドな生き方だと思っています。アリのようにしっかり備えながらも、キリギリスのように楽しむ部分を忘れない。
将来に備えることも大切ですが、それと同じくらい今を楽しむことが大事だと思うんです。結局、どんなに備えても未来はわからないし、今を楽しんでおかないと後悔することになりますから。

何事もほどほどというのが肝心ですね
まとめ
わたしたちの人生は、どんな時期でも忙しさに追われるものです。「いつか時間ができたら」と思っているうちに、その「いつか」は決してやってこない。時間ができても、体力や興味が追いつかないことだってあります。
大切なのは、今この瞬間をどう生きるか。将来に備えながらも、今を楽しむことが重要だと感じています。
アリでもなくキリギリスでもなく、準備と楽しみのバランスを取ることこそが豊かな人生を作りあげる鍵だと思います。
未来を考えて備えることも大切ですが、同じくらい今を楽しむことも忘れてはいけません。
だからこそ、今やりたいことを先延ばしにせず、少しずつでも実行に移すことが大事です。
忙しい毎日だからこそ、未来を見据えながらも今日という日を大切にし、楽しむことを忘れずにいきたいと思っています。
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